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田辺 陶豊

1月30日、
それは 突然の知らせだった。
ルミさん・・「昨日 父が 亡くなりました」

言葉が でざった。



「逢いに行かんと いかん、、、」と 思いつつ
ここ最近 行かなかった。





あたし40、陶豊さん70歳のころ なんとなく知り合いになり、
大方のアトリエに よく遊びに行った。


そこには 芸術品が ごろごろと、しかも無造作に置かれちょった。
あたし・・「これ持って 行商にでも 行こうかねぇ」
陶豊さん・・「そうじゃねゃ、それで 旨いもんでも 食うか」
あたし・・「ま、今日のところは これで、、、」




陶豊さん・・「おっとろっしゃ こんなに 旨いもんが
       この世の中にあったか~」
と、えらく 気に入ってくれたのが『雪見だいふく』。

当時は、行くたびに これを持参した。

「芸術とは 目に見えん もんよ。
 でき上がった 作品は あくまで結果にしかすぎん」
と、創作しつづけた 生涯だったように思う。

陶豊さん・・「ほりゃ・・・」
と 言って 新聞紙に 包んで持ってきてくれた 壺が 何点かある。 





これは、『コンポジション白』という 
たいちゃ えらい賞を頂いた作品らしい。








これも『群像』という 作品。

あたしが気に入っているのはこれ。




このブルーが なんとも いえん。
それから これ。




手を傷めて 土をこねられないときは 墨絵を描きよった。
ぎょうさん ある中から、
あたし・・「これ えいね!」
陶豊さん・・「われ、 持っていけ」と、惜し気もなく くれた。


ちなみに うちは 陶豊さんの作品だらけになっている。


「桜は 嫌いだ」と言いつつ 花見に行った。
「独りがえい」と 言いつつ
「われ、たまには来いや」と 電話がかかってきた。
「戦後 日本人は 金に 犯された」と 言いつつ
「たまには、旨いもん 食いたいねや」と 誘われた。

そこには いつも 人間『陶豊』がおった。
あたしも、たいちゃ「大事なもん」を教えてもらったような 気がする。

「近年 ほったらかしにして 申し訳ない」と、悔やみつつ、
偉大なる 作家 田辺 陶豊さんの
ご冥福を お祈り申し上げます。


  wasuke

 

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